沢沿いなどの湿ったところに多いクスノキ科の落葉低木です。雌雄別株で、早春の頃、葉が開く前に小さな黄色の花をたくさん咲かせます。果実は球形で直径1.5cmほどになる。 アブラチャン(油瀝青)の名の由来は,種子や樹皮に油を多く含み,生木でもよく燃えることによる。チャン(瀝青=れきせい))とは,アスファルト,コールタールなどの総称。果実からしぼった油を灯用としていたとも言われている 別名:ムラダチ・ズサ・ゴロハラ・イヌムラダチ
クスノキ科の常緑高木で、学名は、Actinodaphne lancfolia。木の幹がまだらに剥がれて、白と茶色の鹿子になっているので「鹿子の木」と呼ばれていたが、なまってカゴノキとなった。 随分と大きくなる常緑高木で、小仏近くの宝珠寺には都の天然記念物の大木がある。
高尾山の自然林の中にあってこのカツラは、植林によるものです。 大正末期から昭和初期にかけて植林されたものですが、今では従来の高尾山自生の樹木とうまくとけ込んで独特の趣を見せてくれます。 カツラは四季を通して楽しめる樹木です。春の新緑や秋の黄色葉は美しく、枝は幹に沿って鋭角なので、樹冠が箒状になっており、遠くからでも見分けることができる。山地では、根元付近から細い幹の株立ちが見られる。 しかしこのカツラ、あまり知られていないことなのですがこの新緑の前に花をつけているのです。花といっても普通の花のように花びらやがくといったものがなく雌雄異株のこの木はそれぞれから赤い雄しべと雌しべが垂れ下がりちょっと変わった作りをしています。花が終わると新緑です。やや丸い形のよい葉が広がり、これが秋には黄色く色づきそして落葉していくのです。 カツラの語源は「香出ら」と聞きます。その意味は、カツラの葉が秋になって黄葉になるとよい香りがするようになるからとか。昔はこの葉を集めて乾かし、粉末にしてお香を作ったところから来ているようです。
キブシは全国に分布する落葉の低木。谷沿いに生育し、直立すると言うよりも明るい方向に枝を伸ばして垂れ下がるイメージの樹形である。高さ3〜5mの落葉低木で、雌雄異株。葉が出る前に約4mmの鐘形の花を穂状に垂らします 花穂は雄花の方が長く垂れ下がり、雌花は短い。1号路や4号路で、3月下旬から4月中旬に見頃となります。 キブシという名前は、むかし、女性が歯を染めるのに、多量にタンニンを含むこの木の果実を乾燥させて粉にし、ヌルデ五倍子(ふし)の代用にしたためといわれています。一方、関東地方ではキフジ(黄藤)という名前で呼ばれることも多いそうで、これは、枝から垂れ下がった花穂がフジを連想させるためでしょう。
「スギの木を日本の国木にしたい」 そう言う植物学者もいるほどにスギは私たち日本人の生活と長い間かかわってきた。 このところ花粉症の原因を作る悪者としてあげられるスギ。 しかしながらこのスギ、公害にはからきし弱いようだ。都内23区には残念ながら見るべき木は一株もない。かろうじて八王子、青梅、奥多摩などで見られるだけである。そして、中でも高尾山は都内から至近で豊かな杉の森を形成している。この山中には有名なスギがいくつもある。 まずは杉並木。杉並木といえば日光が有名だが、この高尾山の参道の500年を経たスギ並木もなかなかのもの。 そして烏天狗(からすてんぐ)たちが一夜かけて根を曲げたなどいくつもの伝説をもつ蛸(たこ)スギ。 そして伊豆の反射炉で有名な名代官江川太郎左衛門植栽の江川スギなどだ。 中でも巨木中の巨木が飯盛スギだ。高尾山薬王院の山林の中にそびえる。 「名の由来は樹冠がご飯を茶碗(ちゃわん)に盛ったようだからと言われるが、仏さまに供えた飯をスギの木の根元にさげた、という説や弘法大師に関わる伝説などどれもが高尾山ならではの由緒。その樹冠は伊勢湾台風で変形したが、その根際に立てば、息苦しくなるほどの迫力に圧倒される。 PR 楽天トラベルの海外関連の特集やキャンペーンを集めました!限定プランやキャンペーンなどの特集を見逃さないためにも、日々要チェック! お得【¥3,333】限定オーストラリアワイン5本セット
木は3mから5m程度で、葉が開く前に香りのよい黄色の花をつけます。5号路や稲荷山で3月下旬から4月中旬が見頃となります。
学名はTachelospermum asiaticumで、キョウチクトウ科テイカカズラ属。つる性の常緑樹で、若い葉は白い葉脈が目立つ。5月〜6月に咲く白い花がスクリューのようになっているのが特徴である。 時間が経つとやや黄色みが強くなる。果実は20cm程の線形で、弾けて白い毛を持った種子をとばす。名前の由来は藤原定家の墓に生えていたところから定家葛(ていかかずら)の名がついたとか。
葉がまったく開かないうちに赤い花をまさにふさのようにつける「フサザクラ」は高尾山の渓流沿いで見かけることができます。この「フサザクラ」どう見ても花びらが見つからない。 この花はちょっと変わっていて雄しべが集まって花の形をしているのです。赤く見えたこの花の色は実は雄しべの色なんです。しかし、この「フサザクラ」、さくらの仲間ではないんですが花が桜ににていることからこの名前がつけられたとか。 3月下旬から4月上旬に、4号路や日影沢あたりでよく見ることができます。
高尾山は杉やヒノキの人工林のほかに、豊かな天然林もたくさんあります。北西部はイヌブナを中心にした落葉広葉樹林が帯状に続くのです。これは高尾山の森林の特徴でもあります。それにしても同居するはずのない温帯のブナと暖帯のカシが共存しているのには驚かされます。見事に住み分けができているのです。 これは南北の斜面の冬の最高気温差が大きいことに無関係ではないという学者もいます。高尾山のカシは極相林として問題はないと思われていますがイヌブナは樹勢がこのところ急激に衰えてきているといいます。今後の環境の変化でどうなっていくのか本当に心配です
もともとブナと言えばかなりの深山でないと見られないと考えている方が多いと思います。確かにその通りで、そもそもブナはかなり寒冷な気候と多量の降水あるいは積雪がないと育たないはずの樹木です。 西日本ではだいたい標高1500メートル、東日本で標高1000メートル以上が普通と言われています。ところが高尾山の標高はわずか600メートル足らず、新宿からなんと1時間で目の当たりすることができるのです。都心からもっとも近いところにあるブナ林が高尾山のブナ林といえるのではないでしょうか。
この高尾山のブナは樹齢が約200年のものが多いようです。どうやら一説では江戸時代半ばに1700〜1800にかけて発生した小氷期と呼ばれる寒冷な気候のおりに何かのきっかけで芽生えたものが今日まで生きながらえたといういいます。確かに高尾山のブナは不思議なことにこの時代以降の若木は生えていないのです。 ところで高尾山のブナには、どこで会うことができるのでしょうか。高尾山のブナは、およそ90本弱と見られています。またイヌブナはおよそ800本。イヌブナのほうがブナよりもやや低いところで見ることができます。 まず、ブナですが、ケーブルカー高尾山駅改札口正面にあります。高尾山のブナの中でも、ここが一番低いところに生えている木でしょう。イヌブナは、1号路の男坂と女坂の間にある小山に上るとわかりやすいのですが、斜面いったいがイヌブナ林となっています。そしてこのイヌブナの間に高さ15メートルほどの樹肌が白いブナが見え隠れしています。また、イヌブナについていえば自然研究路4号路は、イヌブナの路と呼ぶ人もおり、みやま橋と名づけられた吊り橋からの上り坂はイヌブナが目立ちます。 いずれにせよ、これらの自然研究路は、よく整備されており、樹木に名札がつけられるなどそれぞれの木がわかりやすく説明されていますので、初心者でも比較的わかりやすいと思います。 ところで、話をもう少し世界に広げてみましょうか。ブナ林は実は日本列島のほか、ヨーロッパとアメリカ東部にも分布します。このため世界的にかなり広い分布域を持っているように見えるのですが、実はまとまったブナ林は実はこの三地域だけなのです。そして自然史的な視点からみると日本のブナ林はなかでも際立って貴重なものとなっています。白神山地のブナ林が世界遺産に認定されたのもそこに理由があります。 この三地域のブナ林は実はもともとひとつであったと考えられています。およそ3000万年前、地質時代でいうと第三紀にさかのぼりますが、当時の地球は温暖でほとんどが熱帯に含まれ温帯の森林はカナダの極北地域など北極をとりかこむわずかな地域に分布しているだけでした。その後、気候がすこしずつ寒冷化してきたため植物も南下をはじめ、この結果、太平洋、大西洋と中央アジアの乾燥地帯によって隔てられ、現在のように三個所に分断されてしまうのです。 その後、まずヨーロッパでは第四紀にいたって大陸氷河が発達し、そのためブナ林は大きな被害を受けます。アメリカ東部でも五大湖付近まで大陸氷河が拡大したため、やはり絶滅する植物が相次ぎ、暖温帯に発達する照葉樹林はアメリカではこの時ほろんでしまいます。三地域のなかでももっとも被害の少なかったのが日本のブナ林でした。日本では大陸氷河は発達せず日本アルプスなどのごくわずかの山岳氷河ができたにとどまり、第三紀周北極植物群は、ほとんどその原形を保つことができたのです。東北地方にあるブナ林はまさにその直系といえもくれんやとちのきのような原始的な植物を多数含んでいます。まさに森そのものが生き残りとでもいえる存在なのです。貧弱になったブナ林しかもたないヨーロッパやアメリカの研究者から見るとまさに宝の山なのです。 PR 【数量限定】ウコン、肝心サポート増量中!お酒のお供に! マルチ ビタミン&ミネラルは、24種類の栄養素がマルチに摂れる栄養機能食品です。
メグスリノキはカエデ属カエデ科に属し、日本にしか見られない木で分布北端は山形・宮城で南端は四国・九州まで標高700〜1,000メートルの湿気のある谷間、山の中腹の緩傾斜地などに生えています。 最も多いのは福島群馬・栃木・茨城など。別名「長者の木」。福島・相馬では目が良くなるという意味を含めて「千里眼」とも呼ばれています。山地に生える落葉高木で,大きいものでは15メートルほどの巨木に成長します。春先から夏場にかけての若木の成長は早く、1年で70センチ以上の背丈になります幹や枝は真っ直ぐには伸びないため、建材としては敬遠されていますが材質は堅くて丈夫。そのため、オノの柄などに使用され、打ち下ろした瞬間に手に伝わる衝撃を柔らかくする性質を持っています。5月頃に,枝先に,葉と同時に白い花を 2,3 個つけます。翼果は大型です。秋には赤く紅葉します。灰色のなめらかな樹皮を煎じて洗眼薬にするのでこの名前がついています。
日本を始め北半球で化石が知られていましたが現存種はなく、このため絶滅種だと考えられていました。ところが、1943年に中国の四川省で自生(アケボノスギ)が発見されたのです アケボノスギは今では広く世界各地で栽植されて、公園や広場などに植えられています。メタセコイアの名は、本来は植物分類上の属の名ですが、現在、残存している本属の植物はただ一種なので、その現生種(アケボノスギ)もこの名で呼ぶことが多いようです。 アケボノスギという和名のもつ意味は深く、現在の植物景観が形作られた、そのあけぼのとも言える時代にすでに存在していたという推察によるものです。高尾自然科学博物館にはメタセコイアの化石が展示されていますが、これは八王子市を流れる北浅川で発見された楢原化石林の中の一株で、きわめて貴重なものです。近在の人たちは、この奇妙な古株の一部を切り出し燃料として使っていたようですが、これがメタセコイアの化石であることが確認されたのは、戦後20年経った昭和42年のことでした。 ところでさきほど世界各地に植えられているとお話しましたが、実は高尾にも植えられているのです。高尾山では、ケーブルカー高尾山駅そばの霞台園地の斜面に植えられていますので是非、一度眺めて大昔の様子を想像してみてはいかがでしょうか。
高尾山で紅葉する楓の代表的なものは、いろはもみじとおおもみじです。 習慣上、葉の切れ目の深いものが「もみじ」、浅いものが「かえで」というそうなんですが どうやら正確には「かえで」というのは植物名で、これが色づいたものを「もみじ」というそうなんですね。いろはもみじという名は、なかなかおもしろい名ですが、これはちょうど七つに分かれた葉が「イロハニホヘト」と数えられることからつけられたそうです。この「いろはもみじ」は別名「タカオノモミジ」と呼ばれているそうです。
沢沿いに生え、高さ2〜6m程の落葉樹。径5〜6mmの両性花のまわりに3〜4cmの白い装飾花をつけ、ガクアジサイのようです。6号路で5月上旬から中旬が花の見頃です。
野山のどこでも比較的簡単に見つけることができるツツジです。見つけることができるというのは、朱赤色の鮮やかな色が、春の華やかな山のなかにあっても、よく目立つからなんでしょう。いかにも山の花といった感じですが、高尾山では、稲荷山で見事に山を彩ってくれます。5月上旬から中旬が見頃となります。
昔は、桜といえば山桜をさしていました。花と葉が同時に出て新葉は緑ががかったものからやや赤みをおびたものまで変化に富んでおり、ソメイヨシノの華やかさはないものの新緑の葉と花の組み合わせが山の緑を背景に風情を醸し出します。 4月中旬から下旬にかけて高尾山頂から陣馬山、相模湖方面へのハイキングコースでは、小仏城山までの約2kmの間で山一帯を覆う山桜の花見ができます。千本桜と名付けられたこの一帯は、もともとは昭和2年に地元の青年団によって山桜の大樹がおよそ200本、また途中の一丁平には昭和30年代にソメイヨシノが500本植えられたことに始まります。 敷島の 大和心を ひと問はば 朝日に匂う 山桜花 本居宣長 高尾の桜はいずれも山麓の桜が散り始めるころより咲き始めますので、東京都内より見頃は約半月ほど遅れているようです。