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「皆さん こんにちは! 私は「高尾博士」。高尾のことならなんでも知っているんだ。高尾の楽しい話、知ってるとみんなに自慢できる(!?)話をご紹介しましょう。知りたいことをクリックしてご覧なさい。」




浅川

八王子市の山岳地帯を水源とし、市内を流れ、北野町を経て日野市に入り、多摩川に注ぐ川。
119.8km。かつて「あざかわ」と呼ばれた時期もあったようです。

本川の北浅川と南浅川、城山川、川口川、また、めじろ台を水源として市の中心部の南を東に流れ合流する「山田川」、あるいは館町の西から湧き出て東流して長沼のあたりで合流する「湯殿川」の支流を持つ。これらの流域をさして八王子盆地ともいいます。八王子市の市街地はこの川によって作られた河岸台地上にり、言い換えれば、八王子はこの川の河岸に沿って発展した町と言えます。
八王子の代官であった大久保長安も浅川の治水には苦慮しており、治水のために築いたとされる石見土手は有名です。

最近、浅川は水質が改善して、絶滅危惧種のホトケドジョウが住むようになったとか。多摩川合流地点からここまでのあいだに少数だが生息地がある。

 

浅川地下壕

太平洋戦争末期に、JR高尾駅に近い八王子市の金比羅山、初沢山の山中に掘られた浅川地下壕。

大本営移転候補地として1944年9月から敗戦までの1年近くにわたって朝鮮人労働者や陸軍工兵隊員らの手によって掘り続けられたとされている碁盤の目のように縦横に走る壕の総延長は10kmに及ぶ。最近、この地下工場の研究をされている都立高校の先生が、同工場の地上にあった従業員宿舎や工場の配置図を見つけられたと話題になった。

完成部分には45年4月から、現在の武蔵野市にあった中島飛行機武蔵製作所が、空襲にあったため、陸軍が当時掘削工事をしていたこの地下壕に疎開地下工場を組み込み、軍用機のエンジンがその中で作られた。この工場では、地上、地下をあわせ3〜4千人が働いていたとされている。

そもそも中島飛行機は、1917年に設立された飛行機のメーカーで、いわゆる「ゼロ戦」(零式艦上戦闘機)をはじめ旧海軍や旧陸軍の戦闘機を3万機以上生産した実績を持っている。
しかしこの地下工場の稼動は、終戦までの約3ヶ月間。計画では、月産500機をもくろんでいたものの、地下工場だけに湿気が多く、工作機械が頻繁に壊れるなどして結果的に作ったのは10機とされている。

近年、私立学校の移転計画に伴い、90年9月、地下壕の一部が破壊されることをおそれた市民からこの戦時下の遺構を平和史跡として残そうという請願が八王子市議会に提出されたことがある。しかしそもそもが私有地であることから手つかずのままといった感じだ。
平成14年8月、文化庁の「近代遺跡の調査等に関する検討会」が詳細調査対象としているが、二度とあの悲惨な戦争を起こさぬようその語り部としての保存が望まれる。



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いろはの森

高尾山山頂から日影沢に下っている4号路には「いろはの森」があり道沿いの木々には名札がつけられ、この頭文字を集めると「いろは四十八文字」になる。

選ばれた木々は大半が高尾山で自生しているもので、「自然の宝庫高尾山」を遊び心で感じ取られる工夫というわけだ。このうち15本にはその木にちなんだ万葉集の歌が     添えられており興味深い。ちなみにスタートはこの木と歌で始まる。

い  (いろはもみじ・かえで科)          吾が屋戸に黄変づ鶏冠木見るごとに


             妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし(大伴田村家大嬢 巻8−1623)

 

オオタカと圏央道

首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の「八王子城跡トンネル」の坑口近くでオオタカの営巣が1996年から、毎年、確認された。

猛禽類は食物連鎖のピラミッドの頂点に存在するために 自然環境の健全性のバロメーターであることが認識されてきています。
特にオオタカは肉食動物であり生態系の頂点に位置する猛禽類で、環境指標生物として良く知られている。
欧州、アジア、北米と広く分布し、国内では31都道府県で繁殖が確認され約1000羽が生息しているとみられているが、詳しい生息環境は分かっていない。
「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」による「国内希少野生動植物種」に指定されている。
環境庁の作成した「緊急に保護を要する動植物の種の選定調査」の「我が国における絶滅の危機に瀕している野生動植物のリスト」(日本版レッドデータブック)の中でも、オオタカは、「絶滅の危険が増大している種または亜種」として「危急種」に指定されている。


オオタカの営巣木は、圏央道八王子城跡トンネル北側の坑口と同じ斜面にあり、距離は約200mしかないため、このままトンネル工事が進み圏央道が貫通すればオオタカの営巣地は狭められ、オオタカの繁殖に重大な影響が出ることは明らかであり、さらに、営巣地を失うおそれがある。

建設省の計画では、同トンネルは長さ二千三百八十メートル。
八王子市西部の下恩方町地区と元八王子町地区を結び、八王子城の城郭があった深沢山(標高四六〇メートル)を貫く。
オオタカは、トンネルの北側坑口から約二百二十メートル南方のほぼ真上で営巣していた。(八王子城は戦国末期の山城で、現在は国の史跡です)ある自然保護団体の若手メンバーは「圏央道反対の運動は政党色が強く、広がりがない。
どうしたらオオタカを保護できるのか、幅広く論議すべきだ」と指摘する。      
種の保存法では、国内希少野生動植物種について、その個体の生息・生育地および一体的に保護を図ることが必要な区域を加えた生息・生育環境を保全するため、必要に応じ生息地等保護区を指定できるとされているほか、捕獲及び譲渡等の規制、保護増殖事業、調査研究等が行われることとなっています。

このオオタカの存在が今後の圏央道計画にどのような影響を与えていくのだろうか



圏央道の問題に興味ある方はこちらへ

 

大山詣りと高尾山

江戸中期に講中登山の流行が起きた。大山詣りがそれです。

もともと我が国には山岳信仰があり、その最たるのが富士講中といえます。高尾山薬王院の記録によると室町時代に富士浅間神社を勧請したとの記録、つまりは富士山のご祭神である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にご出張願ったとの記録があります。

遠く富士山まで行かずとも高尾山にお参りすれば同じご利益があるというものです。高尾山薬王院から甲州街道の小仏峠に通じる道を昔は「富士道」といっていましたが今は廃道となってところどころにしかその面影をみることはできません。
富士信仰の人々がこの霊峰を仰ぎ見ることのできる高尾の富士浅間神社を目指して通った道です。                                       

さてこの江戸時代にはやった大山詣りと高尾山の富士講中をなんといっしょにした優れものが出てきたのです。今で言えば名プロデュースといったところでしょうか男神である大山の石尊大権現と女神である富士山の木花開耶姫命の両方にお参りすれば効果は何倍もあるというのですからこれには江戸の庶民はまさにフィーバーでしょう。

高尾山自然研究路6号路には今も「大山橋」という橋が残っていますし、薬王院から南へ下る今は廃道となった道は「大山道」と呼ばれていたのはその名残です。


                                       

 

景信山(かげのぶやま)

山名は北条氏照の武将だった横地将監景信が、甲斐の武田軍に備えて展望台を築いたことによるといわれています。真実かどうかは不明ですが、山頂に立つと確かに山梨県上野原方面がよく見渡せ、戦国の時代の物見の山としては位置も高さも十分といえます。

現在は縦走路の絶好の休憩場所となってり、山頂にはベンチが並べられています。なお山頂には昭和3年から営業しているという茶屋の老舗があり、手作りの酒饅頭や野菜団子、柚味噌こんにゃくなどをいただけます。4月から5月、10月から11月のシーズンには天気が良ければ毎日営業しているそうですので、皆さん是非どうぞ。


     

 

カジカガエル

4月も半ばを過ぎると、小仏川の清流から美しい鳴き声が聞こえてくる。
まるで虫の音のようだが、この声の持ち主はカエルです。
川に住み、鹿に似た声から河鹿と命名されたカジカガエルです。日本に生育するカエルはそのほとんどが池沼やよどんだところを好むとされています。しかし、このカジカガエルは、清流に住むカエルなのです。

しかし、清流とはいっても、清流でも特に波が立つような浅瀬を好みすんでいます。全体に地味な印象を与えるかえるですが、抜群のジャンプ力をもっています。カジカガエルはカンタンや野鳥と並んで高尾山の美声の三大スターです。カジカガエルの声を聞く会が鳴き盛りの6月に八王子観光協会の主催で毎年行われていますので、一度参加されてみてはいかがでしょうか。


     

 

カタクリ

高尾の春の花といったらやはりカタクリでしょう。カタクリは古名でカタカゴ、あるいは方言でカタコとも呼ばれているユリ科の多年草で3月下旬から4月初旬にかけてうすい紫色の花を咲かせます。種から開花までが7年かかるといわれ、日照、気温、湿度などの環境がうまくあわないと決して育ちません。

高尾山口駅から相模湖方面に向かって約2キロメートルほどいったところに梅の木平という集落がありますが、ここから峰の薬師登山道入口、国道を左へ50メートルほど入った民家の裏山はカタクリの群生地として広く知られています。このカタクリが咲く頃になるとリュックを背に梅の木平へ向かう人が多くなってきます。カタクリを見に行く人達です。     

100年以上も大切にして守られてきたカタクリですが、今危機に直面しています。圏央道八王子南インターチェンジの予定地にあげられているからです。


     


 

カンタン

高尾山の秋は虫達の音楽会である。その中でも「幻の虫」とか「鳴く虫の帝王」とか呼ばれているのが「カンタン」で8月中旬から11月上旬まで鳴き「ルルルルルルル.....」といった感じで聞こえる。

この季節になると八王子市観光協会が主催し「カンタンの声を聞く会」が行われています。カンタンは長さが約2cm、幅が3mmと非常にスマートな虫ですきとおるような黄緑色をしている。見るからに弱々しい(おっとカンタンに失礼!?)虫でそのためか昔から俳人や歌人にも愛好者がいるようだ。

昆虫は変温動物だから動きや鳴きも気温に支配される。低温だと羽根の動きが鈍くなり、音量も小さく低音になる。高尾山のカンタンが人の心にまでしびれさせるように鳴くのはそんな高尾の自然からきているのかもしれない。ちなみに東京ではカンタンが聞けるのは高尾山のほかは陣場山、御岳山、大岳山くらいだという。                                      
ところでこのカンタンを飼育している方がおられるそうです。小平にお住まいの昆虫研究家 小野公男さんがその人です。東京から年々減っている虫を保護して人工飼育、自然に返そうと、昭和42年に「多摩カンタン保存会」を結成。今では「鳴く虫友の会」に発展し、関東三都県に四つの支部と百五十人の会員がいるそうです。     
氏は、この「鳴く虫の帝王」といわれるカンタンの研究家としても知られています。昭和39年の東京オリンピック直前に、カンタンの美しい声で外国選手を慰めたいという学者の記事に触発されて、見たこともなかったカンタンの人工飼育に挑戦したのが始まりだといいます。今では、自宅マンションの屋上にプランターやブロックを敷き詰め、カンタンの好むヨモギやメハジキソウ、オオブタクサを植えて小さな野原を再現。カンタンを放し飼いにしているそうです。高尾山と同じように、午後7時半ごろになると鳴きだすといいます。 

ところでこの「カンタン」という名前の由来とされている故事成語の「邯鄲の夢」は、実は虫のカンタンとは関係ないのではといわれている。かつて中国の邯鄲という町で廬生(ろせい)という青年が栄華を極める夢を見たが、目が覚めてみると夕食の大粟がまだ煮えていないほんのわずかの時間だった。栄華とははかないとの例えに用いられる故事だが、この故事の中には地名以外カンタンは出てこない。

また邯鄲のまちにカンタンは生息していない。学者の中にはこのカンタンの由来を調べている人もいるが、未だに解明されていない。


     

 

逆転層

圏央道の問題ではよく「逆転層」という言葉を耳にする。この「逆転層」は85年1月に八王子自然友の会、多摩川水系自然保護団体協議会、三多摩勤労者登山連盟の自然保護三団体による「高尾山の自然を考える集い」が行われた際に圏央道反対運動の武器として紹介され、いわゆる自主アセス実施の発端となった現象のことです。

大気の温度は、通常は高いところへいけば行くほど低くなるのは小学生の理科でも習う自然現象だ。しかし時として下のほうほど気温が低く、上に行くにつれて気温が上昇するという現象が発生することがある。これが「逆転層」だ。冬の晴れた夕方は雲による熱の反射が行われず、地上からの熱気がどんどんと上へ上へと放射されこれにつれて地面に接した空気が冷やされるという「放射冷却」が起こるがこの状態が長く続くと地上に近い部分が気温が低いという接地逆転層が発生する。     

この逆転層は、本来はこの逆転層は風によりかき混ぜられ消えるのだが、山の影となって日があたらぬところは一日中この現象が起きたままのところがある。問題はこの逆転層ができると大気が循環しなくなりそこに汚れた空気がなだれ込んできた場合、この汚れた空気が循環せず高濃度の大気汚染が発生してしまうことだ。高尾山の周辺でこの逆転層が起こりやすい場所はまさに計画中の圏央道がトンネルから出る場所が含まれている。     

また計画では高尾山トンネルとその北側の城山トンネル内の換気をはかるため裏高尾ジャンクションの中央部に巨大な換気塔を建てることになっている。この2つのトンネルは裏高尾の標高150メートルのところに向かってどちらも上り坂として作られる。当然エンジンをふかし排気ガスの量も増えることだろう。トラックのような大型車両ではなおさらのことだ。この強制的に換気された汚染された空気は、谷間に押し込まれこの高尾の自然を一気に破壊してしまうことだろう。


                

     

圏央道

圏央道、正式には「首都圏中央連絡道路」は首都東京の45キロメートル圏内を放射幹線道路を環状につなぐ自動車専用道路で、高尾山から多摩丘陵、秋川丘陵、青梅段丘と多摩川系の環境豊かな緑地、農地、山々を貫いて路線が計画されています。     

特に高尾近辺では遺跡の密集地に切り割りやトンネル工法で圏央道路線が計画されているため自然林や水脈に大きな影響を及ぼすことが考えられ、これにより遺跡と歴史的環境の保全が維持できなくなる恐れがあります。      

自然の宝庫、高尾山の裏高尾のジャンクションを経て2本のトンネルが猪の鼻山から地下の潜り八王子城本丸跡直下をトンネルが通ることとなり、それはまさに大切な自然と史跡の串刺しです。


     

        
89年に都が都市計画として決定して以来、高尾の自然を愛する人たちから抗議行動や保存運動が起こり今も続いています。

たしかに圏央道は都市生活者にとって非常に大きな利便性をもたらすでしょう。でも人間の便利さという自分勝手な都合から何百年もかけて育まれてきた自然を一瞬のうちに葬り去るような愚行は何としてでも避けたいものです。高尾の自然は、人間だけのものでなくそこに住む動植物のかけがえのない安住の地でもあるのですから。
     
              

       圏央道の話をもっと知りたい方は

 

国際観光地第1号

高尾山は国際観光地第一号です。

1858年(安政5年)、ついに日本とアメリカ合衆国の間に日米修交通商条約が締結された。この条約は関税自主権がないなど、かなりの不平等条約だったが、ともかくこの条約によって下田、函館に加えて、兵庫(神戸)、新潟、長崎、神奈川(横浜)の四港の開港が約束され、日本にいよいよ自由貿易の時代がもたらされることになったのです。

この日米修交通商条約には外国人の遊歩規定、つまり自由に出かけてよい範囲の規定が設けてあり、それによると横浜を起点として10里とされていました。

ところが1861年、英国人の団体が高尾山に登山(当然彼らに参拝という気持ちはなかったでしょうから)して外交問題にまで発展した大事件となってしまったのです。
当時の日本政府は、高尾山は横浜から高尾山までは10里以上だというのです。ところが彼らは直線距離を主張していたのです。条約にはそんな所まで取り決めがなかったものですから仕方がありません。ちなみに横浜から高尾山までの直線距離は約39キロメートルつまりは当時の9.9里なのでした。


     

 

ご主殿の滝

八王子城は天正18年(1590)に前田利家、上杉景勝らが率いる豊臣の大軍に攻め込まれ一日にして落城したといいます。

この時悲劇の舞台となったのがこのご主殿の滝です。丑の刻(午前2時ころ)から約3万の兵からなる豊臣軍は城下を焼き払いながら本丸めがけて攻め込んできました。激しい12時間にもわたる戦いののちついに力つき落城となりました。八王子城の女房たちは自分の愛する夫や家族のあとを追い、愛児を抱きかかえ次々とその身を滝に投じたと言われています。

今でもこの滝から水は流れ落ちています。土地の方でしょうか、滝のそばの慰霊塔の前には線香とお花が寂しげに飾られていました。


     

 

小仏峠(関所)

標高548メートル。旧甲州街道の難所だった峠ですが、北の景信山と南の高尾山からの尾根と鞍部で室町時代末期に八王子城主だった北条氏照が関所を設けました。     
その後江戸時代には関所は、山麓に移されてしまいました。1寸8分の小さな仏像が峠に安置されていたのが峠の命名の由来となっています。     
現在、この小仏峠にはきのこや山菜、野草の店があり、飲み物が売っているがベンチやテーブルはあるので休むには便利だ。春ならばタラノメ、秋ならばシイタケ シメジなど新鮮なうえに安いので、この季節に訪れたならば是非求めてみては。     

さて一方移された小仏関ですが、関所が山麓になってからは本来は駒木野関所が正式の名前ですが、そのまま小仏関と呼ばれていました。現在は手形石と呼ばれる丸石と手付石と呼ばれる平石が残るだけとなっていますが、当時は間口7間半、奥行3間の番所が有り、通行人を厳しく監視したといいます。関所を通る旅人は、少し高い丸石に関所手形を出して乗せ、手前の平石に手をついて頭をさげました。明け六つから暮れ六つまでの間だけ通行が許されました。つまりは午前6時から午後6時まででこの門限は堅く守られました。例外としては、京都または江戸から朱印を携帯した人馬、大阪定番または江戸南町奉行所の証文をもった者に限って夜間査証通行も許可されていました。

また安政6年は庚申縁年として富士山の女人登山を許したため各地から女道者の列は小仏関所へひきもきらなかった。この女手形には特別な処置をとったが祝い金と称して役得金(つまりはそでの下)が多分にあったようだ。     

小仏関所は幕府の大きな目となって時代をにらんでいた。旧豊臣浪人のクーデターである由井正雪の事件は未然に鎮圧されたが、江戸から脱出する浪人や江戸に潜伏する浪人の取り締まりは徹底的だった。小仏関所はその捜査本部にあてられ、女の髪を解いてまで過酷な取り調べを行ったという。      

関所番は,始め八王子千人同心や関東十八代官の手代がかわるがわる務めていましたが、寛永18年(1641)からは4人に定められた。      
関所番のひとりであった落合直亮(なおあき)は、関所番をやめ討幕運動に奔走した人で、小仏関跡の広場に立つ「先賢彰徳碑」は直亮らを称えたものです。碑の裏には与謝野鉄幹が詠んだ

「すがすがし関所の松風にとこしえ聞くは大人(うし)たちのこえ」がきざまれています。


       

   

 

小仏層群

高尾山を巡る周辺の山々、即ち高尾山、陣馬山、城山 といったこれらの地域一帯の山は全て、数センチ〜数十センチ程度の厚さの硬い砂岩とうすい粘板岩が相互に何層にも重なっている「互層」構造から成りたっています。

これらの地層を地学の分野では「小仏層群」といい、今から7千万年〜1億年前の太古の中世代白亜紀の海底に堆積してできた層であると考えられています。
この小仏層群は、関東では比較的広範囲に分布しており、南はこの高尾山から北は五日市近辺にまで達しています。

また高尾山で見られるこの地層の最も大きな特徴は、地層がほぼ70度〜80度の角度で、ところによってはほぼ垂直に立っているということです。本来は 海底に平らに沈殿していくはずの地層が、このように特異な形態をしているということは、非常に激しい地殻変動をうけて山が形成・変形していったことを物語っています。

ところで、高尾山や城山のハイキングで登山道を歩いていくと粘板岩が千枚岩という変成し、いくつもの細かな割れ目を生じ、ぼろぼろと崩れやすい道となっているところにあたります。割れ目から長年の間に、雨水がしみこみえぐり取られていった結果といえます。

今から1億年前に形成された海底が、地球との戦いである強大な地殻変動で水面に姿を現し、隆起し、この自然の宝庫「高尾」の山々となる。そして、今度は、天との戦い、雨風との戦いで崩れさっていく...まさに壮大な自然のドラマのようです。 
もっと詳しく高尾の地質を知りたい方は「高尾の地学」
                   


    

 

シモバシラ

氷の花を咲かせるシモバシラは林の中に生える多年草です。シソ科の植物で、秋には白か薄紅色の小さな花をまるで鋸の歯のように多数つけます。でもシモバシラの言葉の所以は冬にあります。秋に咲いたこの花は、枯れた後の寒い日にもう一度美しい花をつけるのです。といっても本物の花ではありません。氷の花を咲かせるのです。

地中から吸い上げられた水が、夜間の寒さで凍り、枯れた茎を割って吹き出して氷の花を咲かせるのです。この珍しい氷の結晶の花を霜柱に見立てたもので、時には前日のあるいは前々日の花の上から咲くこともありそれはまさに氷の彫刻、自然の美しさに言葉を失います。


高尾山では、「もみじ台」の北側巻き道周辺(杉林の中には「シモバシラ」観察コースあり)、山頂から一丁平方面で見られますがいずれにしても早朝に行かねばなりません。特にいい場所ではハイカーやカメラマンが集まっていて形の良い「シモバシラ」の撮影順番待ちももあるようです。いずれにしても秋のうちに花を見つけて冬を楽しみにしておくのがいいでしょうう。


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十一丁目茶屋

「十一丁目茶屋」は、ケーブルカー山頂駅のすぐ近く、ケーブルカー高尾山駅から散策をはじめて最初の休憩処です。手焼きのお団子を店内もしくはベランダでいただくことができます。ここは霞台にあり、眺めは最高です。

特に冬の天気のよい日は、新宿副都心の超高層ビルや相模湾の江ノ島まで見渡せ、誰もがその景色のよさに店内に落ち着いてしまうとか。

冬はこの暖かい店内で甘酒やおでんで冷え切った体を温めるので、お店の方たちにとっては回転率はあまりよくないのかもしれませんね。

店先で焼いている香ばしいお団子の香りに惹かれてついふらりと店に入るかたも多いようです。
なんでもこの茶屋が開かれたのは明治31年というのですから当然そのころはケーブルカーなんてありませんし、きっと参拝者にとっては山道を登りきりほっとできるまさに茶屋だったのでしょう。

店名ははじめは「しぐれ茶屋」といっていたそうですが、高尾山では薬王院から距離を図っていて、ここは、薬王院から十一丁目(約一キロメートル)に当たる地点ということで、参拝者が11丁目の茶屋で待ち合わせようと言うようになり途中で改名した聞きました。

なお、茶屋の前は三叉路になっており、小さな公園・休憩所になっています。そこには、高尾山を管理する東京営林局が、丸太で作った小さなログハウスがある。高尾山の写真が展示され、「高尾山国有林ガイド」などのパンフが入手できる。


     


天狗団子はなかなかうまいな
ところで、平成15年秋のTV新番組で、この十一丁目茶屋が舞台となるドラマが、始まるのです。

フジテレビのHPによれば

「こんなの自分の望んだ人生じゃない!」
そう、思ったことはありませんか?
「幸せになりたい」そう、思うことはありませんか?
都会で挫折した姉…。
都会に憧れている妹…。
生まれ育った家は、東京近郊の高尾山の中腹にある「十一丁目茶屋」。
そんな姉妹が、緑豊かな自然に守られながら、それぞれの恋愛を通じてひたむきに「幸せ」を追い求めるピュアでハートフルなラブストーリー。
恋愛ドラマに主人公の実家や両親が登場しなくなったのは、いつからでしょうか?この姉妹が幸せを求める中で、避けて通れないのが『家族』なのです。自由気ままな婚姻が当たり前の時代だからこそ、親子の価値観、結婚観、人生観のぶつかり合いをしっかり描きます。
家族やしがらみを捨てられない不器用な姉を演じるのは、飯島直子。
見返りのない無償の愛に目覚め成長していく妹を演じるのは、深田恭子。
脚本は「やまとなでしこ」「スタアの恋」「Age,35 恋しくて」などラブストーリーの名手・中園ミホ。女性を描くと右に出るものがいない彼女が、自然の中のピュアなラブストーリーに挑みます。


十三州見晴台

高尾山頂は、広くなっていて、茶店や自動販売機もいくつかあります。ここは、十三州見晴台の別名が示すように、眺望の良さが有名で13州が見えるといわれています。

この13州とは、関八州(武蔵、相模、上野、下野、常陸、上総、下総、安房)とその外側の越後、信濃、甲斐、駿河、伊豆をいいます。現在は樹木の伐採が禁じられているために木立によって視界が遮られているが、海抜600メートルの山頂からの眺めはやはり素晴らしいものです。さて皆さん山頂に立って数えてみてはいかがでしょうか。


                                  


山頂はハイカーで大賑わい

 

高尾駅

JR高尾駅は、明治34年(1901)8月1日に浅川駅として作られました。

現在の駅舎は1927年(昭和2年)に新宿御苑につくられた大正天皇の大葬用停車場を移築したもので全国的にも非常に珍しい木造の駅舎となっており、今日まで受け継がれていますが、それがまた高尾とマッチして何とも言えない風情をかもしだしています。

1961年には高尾駅と改称されましたが、中央自動車道の開通前は武蔵陵の最寄駅として列車で訪れる皇室関係者を地域住民が出迎えたきたという歴史も持っています。
その後高尾山周辺の観光地化や宅地・霊園の各開発、そして67年にには京王電鉄高尾線が開通されたことで京王高尾駅が南側に並んで開設と乗降客は増えました。
大学のキャンパスも急速に高尾近辺に開設が進み、現在の1日の乗降客は、約7万人といいます。                              

                                                          
   
JR高尾駅北口        京王線ホームからJRを臨む
ところでこの高尾駅のホームには、いくつかの名物があるのです。

ひとつめは「天狗面の像」。
高尾山にちなみ大きな天狗の面の像が飾られておりこの高尾駅のシンボルとなっています。
この天狗の石像は、1978年(昭和53)年に高尾観光協会と高尾山薬王院によって設置されたもので、東京造形大学教授であった大成浩氏が中心となって製作しました。
塩山御影石でつくられたこの像は重さが18トン高さが2.4メートル鼻の長さ1.2メートルという大きなものです。     
高尾駅に降り立ったら是非一度ご覧ください。  

そして2つめは「高尾駅の柱」。
鉄道ファンには、うれしい話ということですが、高尾駅のホームの屋根を支える柱には古い明治時代のレールを使っているものが多いのです。
しかも甲武鉄道時代の1900年はじめの外国製や、国産八幡製鉄所製など今となっては貴重なレールばかり。
列車を待つしばしの間、このレール達を探し、古き明治の香りをしのんでみては。

そして、3つめは、同じくこの柱のレールにまつわる「戦争の傷跡」。
昭和20年(1945)年7月8日午後1時頃、当時まだ「浅川駅」といって頃、高尾駅は、米軍機の機銃掃射を受けたのです。実はその少し前、5月25日にも戦闘機が飛来し、駅の貨車に被害を出していました。どちらの空襲の被害かははっきりしないのですが、そのとき受けた跡が1.2番線ホームの跨線橋のぼりぐち付近の柱の中央にまだはっきりと残っているのです。白いペンキで塗られていても弾丸の跡の残るレールの柱は、今もそっと戦争のむごさを物語っているようです。

                   

高尾駅の天狗像

 

 

高尾山十景

高尾登山電鉄が高尾山の景勝10景を選定したものです。                  

  1. 杉木立奥の院から初日の出
  2. 大杉原山門あたりの雪景色
  3. 稜線に舞う一丁平の山桜
  4. 4号路市橋までのブナ芽吹き
  5. 涼風に城山も見ゆ霞台
  6. 稲荷山展望台にいずる月
  7. 月もいで邯鄲の音しきり金比羅台
  8. 6号路弁天丸の谷もみじ
  9. 名残りのもみじ浄心門を入るあたり
  10. 秋深む見晴台に富士白く
 
            
     

 

高尾せんべい

高尾山のお土産といえばやはり「高尾せんべい」でしょう。高尾山の紅葉を代表する「イロハモミジ」をかたどった昭和10年頃の生まれのいわゆる瓦せんべいです。     

この高尾せんべいの製造元が高尾山参道の入り口、甲州街道沿いにある薬王院御用達の老舗「有喜堂」です。有喜堂と聞いて「そういえば薬王院の寺号も有喜寺では」 と気がつく方は、かなりの高尾通。
なんでもこのこの有喜堂はもともとは機屋だったそうでその家業が倒産、薬王院の檀家総代の役目を代々追ってきた寺にとっても重要な家であったため当時の山主の勧めで薬王院のお供物として寺の紋をいれたせんべいを作ったのが始まりだとか。

店の名前にも薬王院の寺号である「有喜寺」の使用を許されるなど破格の扱いを受けたようです。それだけお寺に尽くしていた大事な方だったのでしょうね。昭和2年の建築という風格が滲み出る店内にはせんべいのほかに、高尾まんじゅう、大杉まんじゅう、羊羹が売られています。(ちなみに私は大杉まんじゅうのファンです)

〒193-0844 東京都八王子市高尾町2302
電話:0426(61)0048 FAX:0426(67)3311
京王線:高尾山口駅より徒歩5分



     


有喜堂本店

 

立木トラスト運動

裏高尾には、水田、畑、梅林、雑木林といった美しい光景が見れます。
でもここに圏央道のジャンクションが作られる計画で、住民や自然を愛する人たちの間から反対運動が起こりました。
梅林や水田をつぶしこの自然いっぱいの高尾の山にトンネルを貫かせようというのですから、その自然に与える影響を考えると反対運動が起こるのも当然かもしれません。
この梅林付近では、「立木トラスト運動」が展開されています。
雑木林の一本一本に個人の名前を記した札がつけられています。
梅の木を一本ずつ買って「明記票」をつけることで法律で保証された立木の権利を主張し自然破壊を起こす無謀な計画を阻止しようというものです。

不動産や動産など物についての所有権などの権利は物件と呼ばれ、債権という特定の人に対する権利と異なり、誰に対しても主張できます。しかしそうするためにはこれを世間一般に明らかにしておかなければなりません。その方法を公示方法といい、不動産の場合は登記がこれにあたります。
しかし「立木トラスト」のような立木は登記ができません。ここで登場するのが「明認方法」。登記に代わる公示方法として慣習上認められたもので、立木の幹を削って所有者の名前を書いたり、枝にプレートを引っかけたりして、その立木についての権利を示します。 これで対抗要件を備えたことになります。

車社会の今日、確かに便利になるのはいいことだけれど、また一つ人間の便利さのために自然が破壊されるのならば許されることではないことです。
特にこの高尾の自然を知っている人ならば、本当に悲しくなってしまうことでしょう。


     

 

丁目

富士山は、山麓の浅間神社を起点として一合目、二合目というように山頂に向かって合数が上がっていきます。ところが、この高尾山では、なぜか薬王院を起点として一丁目、二丁目というように山麓に向かって距離を数えています。ちなみに薬王院から山麓の不動院までが昔の道で三十六丁(現在は約3キロメートル)です。


      

                               






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