高尾の豆知識 


  


 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。

 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

 真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平十六年(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。



4-7.熊野神社の縁結び


  JR高尾駅北口より西八王子方面へ甲州街道にそって6~7分ほどいくと木々でうっそうとした薄暗い境内が見つかる。これが熊野神社だ。旧来より鎮守の森として住民から親しまれてきたが、神社縁起によれば、その昔諸国行脚の旅をしてここまでたどり着いた老夫婦が、紀州和歌山の熊野大社を奉斉したとのこと。その後、天正元年に北条氏照が再建したこれにいたったとか。 社殿左側にはご神木があるが、風邪除け、長寿の木として地元に崇拝されている。

また、中央線の南側には杉木立があって、ここはぢぢいの森、ばばあの森、またの名をお杓文字様といった。ここの祠に奉納されている杓文字をつかって飯を盛るとたちどころに風邪が治ったという言い伝えがあり、大正のころまでは付近の方達がよくお参りしていたようである。京王線の拡張工事によってこの熊野神社の境内に移されたというが、結局、中央線の開通と共に消滅してしまったようだ。

 さて、ここ熊野神社には八王子城の恋人達にまつわるお話があります。今から400年前、八王子城主 北条氏照の家臣、篠村左近之助に安寧姫という美しい娘がいたそうです。氏照は、この娘をたいそう可愛がり、城下の月夜峰で催される宴にはいつもそばにおいていました。宴では、よく獅子舞が演じられ、その中にひときは上手に笛を吹く狭間の郷士の息子という若者がおりました。氏照は笛の名手でもありましたから、この若者を宴に呼んでは笛の音を楽しむのでした。安寧姫とこの若者はしばしば宴の席で顔を合わせることになり、いつしか恋が芽生えるようになりました。そして、この木の下で逢瀬を重ねていたといいます。

 その後この二人がどうなったのか何も記録がありません。ただ、この熊野神社ではご神木として樫の木と欅が根元から一緒になった珍しい木があります。地元ではこの木を縁結びの木といってこの木の根元に自分の名前と恋しい人の名前を書いた小石を二つ並べておくとその願いがかなうといいます。きっとあの二人が恋の行方を見守っていてくれるのでしょう........


 

 

 



>豆知識目次に戻る


» ホームに戻る


高尾の豆知識

  • 高尾の豆知識