高尾の豆知識 


  


 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。

 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

 真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平十六年(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。



4-10.高尾山を護る四天王


 高尾山の山門は総檜造りでその山容に相応しているように見えますが、この山門の中には四天王が鎮座しています。四天王は、聖徳太子が戦勝祈願をするなど、古来より広く信仰されてきたとされています。
この四天王はふつうの山門では、ほとんどの場合正面の二天王であって、東西南北と正面と裏側に四身体が安置されているのはわが国でも極めて珍しいそうです。

 四天王が何たるかを説明するには、密教の宇宙観に入らねばなりません。密教の宇宙観の象徴的なものに須弥山(しゅみせん)という山があります。ここでは、世界は風輪、水輪、金輪という大きな円盤が重なった上に須弥山という山が立っていて、山頂に帝釈天を始めとする三十三の仏尊が住んでいるといわれています。
 上空には如来や菩薩の住む「天界」があり、人間界は須弥山の裾のにある「閻浮堤」という島の一つにあり、その下には「八大地獄」があります。この須弥山が100億集まり1枚の蓮華葉となり、1000枚の蓮華葉からなる蓮華台に毘盧遮那仏(大日如来)が座しているというものです。さて、その須弥山の中腹で、帝釈天の部下として、須弥山の東西南北4つの門を守ると言われているのが「四天王」です。

 正法諸仏の守護神であり、東西南北の各四方にあってその方角を守護する仏天です。「増一阿含経(ぞういちあごんきよう)」や「阿育王経(あいくおうきよう)」には、四天王が釈尊のもとに現れて帰依したことや、釈尊の涅槃(ねはん)の後に仏法を守護することを釈尊から託されたことを記し、「金光明最勝王経」には、四天王が釈尊に対し本経を信奉する人々とその国家を守護することを誓ったことが説かれています。
 その姿は、当初古代インドでは護世神として上流貴族の格好で表情も柔和だったが、しだいに甲冑をつけた武人の姿の忿怒形になったとされています。
それでは、四天王を紹介しましょう。

 持国天は東方にあり、生命ある一切衆生の安全や国土の保全を守る東勝身州の守護神です。サンスクリット語では「ドゥリタラーシュトラ(国土を支えるもの)」。その起源は「マハーバーラタ」に登場する、インドラ配下の盲目のガンダルヴァの王で、そのことから持国天自身も乾闥婆と毘舎遮を従えるとされる。刀を主要な武器とし、摩尼宝珠を持つ。乾闥婆及び羅刹を眷属とする般若守護十六善神の一つ。東方だけでなく三方を守護するため持国天といいます。

 増長天は 梵名は「ヴィルーダカ」で、「発芽し始めた穀物」という意味を持ち、五穀豊穣を司る。鳩槃茶、薜茘多鬼類を眷属とする。刀や鉾を象徴とする。無業百千の鬼を掌握し南方を守護します。 般若守護十六善神の一つ。自他の威徳を増上せしむるため増長天といいます。

 広目天は 梵名は「ヴィルパークシャ(異なった目を持つ、もしくは醜い目を持つ)」で、「ヴィ」に「広く多い」という意味があるため広目天と訳される。また直訳して「醜目天」とも。龍及び富単那を眷属とする。浄天眼という清浄な眼力によって衆生を見守り西方に座居します。

 そして多聞天は毘沙門天ともいい北方に鎮座し福徳富貴を授け七福神の一つにも数えられています。金毘羅を別名とする。十二天の一つ。常に如来の道場を護り、法を聞くため多聞といわれる。手に持つ宝塔により、無量の珍宝を出し、衆生に与えて福徳を授ける。古来、この天を吉祥天と相関して、夫婦のように説くとされています。

     




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