高尾の豆知識 


  


 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。

 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

 真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平十六年(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。



3-23.高尾にもあった路面電車?


 現在は、高尾には京王とJRが伸び、交通も便利な観光地となっていますが、ここに至までは、数々の歴史があったのです。

 八王子には、すでに1889年に甲武鉄道が新宿―八王子間(中央線)を開通させ、さらに甲府へと伸び、1925年には玉南電鉄が府中―東八王子間を開通させようとしていましたが、両方の鉄道とも駅は市街の東の外れに位置しており、市中心部との連絡は主にバスに頼っていました。

 一方、八王子市内と高尾山を結ぶ線路は、もともとは1923年設立の「高尾山電気軌道」という会社によって計画されていました。

 高尾山は、当時すでに行楽客も集めるようになっていました。そこで、高尾山電気軌道は、1925年までに、八王子駅前―高尾橋間および横山町―東八王子駅前間の路面電車の免許を取得しました。そして、1926年には会社名を「八王子電気鉄道」と変更しました。

 同じ頃、八王子市は、独自で市営の路面電車を計画していたもののその計画を断念し、八王子電鉄による市内への路面電車敷設に合意。政府へ八王子電鉄の軌道敷設認可の促進を陳情しています。その結果、1927年に大和田橋―浅川間の軌道敷設の認可がおりました。

 さて、1927年に大正天皇多摩御陵が高尾に造営されたことから、その参拝客、1926年にケーブルカーが開業した高尾山への行楽客、また、所沢線の貨物輸送などを当て込んで、新会社の「武蔵中央電鉄」が1928年に発足しました。

 この会社は、翌1929年に八王子電鉄を合併。多摩陵造営に伴って拡幅されていた甲州街道の浅川―追分町間から工事を進め、同年の11月23日、新嘗祭の日から営業を始めたのでした。12月には追分町―新町間2km、翌1930年の3月浅川駅前―高尾橋間1.8km、12月新町―東八王子駅(現京王八王子駅)前間0.66kmと、1年をかけて路線をほぼ開通させたのです。

 しかし、その後の金融恐慌、世界恐慌により、また1930年には国鉄が浅川(現高尾)まで電化し省電の運転を開始、翌年年3月には京王電気軌道が北野から御陵前までの御陵線を開通させて新宿からの直通電車の運転を始め、さらには並行するパスにも客を奪われ、経営は悪化する一方でした。

 その頃、京王電気軌道は八王子一高尾間の交通の一元化を狙っていました。
そのために不可欠な武蔵中央電鉄の鉄道及ぴ八王子市街自動車のバス路線の買収に着手していましたが、1937年5月、武蔵中央電鉄は京王電気軌道への合併を決定し、1938年3月には、経営権は京王電気軌道に移りました。

 その後、京王は車庫前一武蔵横山(御陵線との接続駅)~高尾橋間を、御陵線の延長のような形で運行し始めました。しかし、経営は好転せず、1939年6月30日、この区間も運行を休止,すべてバスに転換され、レールは撤去されたのでした。

      




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