高尾の豆知識 


  


 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。

 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

 真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平十六年(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。



2-5.大悪人?大久保長安の謎


 大久保長安は1545年(天文14年)に猿楽師金春大蔵太夫の次男として生まれ、父と同様に猿楽衆として甲斐の武田信玄に仕えましたが、のちに兄の新之丞とともに年貢の課徴・金掘りを司る蔵前衆に抜擢され武士となりました。このように大久保長安は本来武勇の人ではなく、裏方で活躍していました。

 武田勝頼が長篠で敗れ、1582年(天正10)に織田と徳川の連合軍に滅ぼされた後は、駿河に行き、大久保忠隣の寵愛を受けて大久保姓を授かり大久保十兵衛と称し、徳川家康に推挙されます。徳川家康に仕え、検地や徴税などの地方巧者として能力を認められます。

 関東総奉行を務める一方で鉱山経営の才能を買われて金山奉行となり、石見・佐渡金山などから多大な採金の成果をあげます。1601年(慶長6)には長安と称し、初代の石見銀山奉行として赴任し、慶長8年には八王子で三万石を知行し、徳川幕府の勘定頭と佐渡奉行も兼任します。この年石見銀山の釜屋間歩で大量の銀を産出させ、徳川の財政に大いに寄与します。慶長11年には伊豆金山奉行も兼務し、金銀山を大繁盛させ、江戸幕府の財政基盤を確立させたのです。

 八王子小門宿に陣屋を設けて八王子宿を整備・支配し,千人同心を統轄しました。八王子陣屋にあっては武田遺臣を中心に八王子千人同心を組織しました。江戸の西方への防衛線は多摩川と甲州境の子仏峠にあり、八王子に前線基地を置き、千人同心をその守備隊とし西方への防衛としたのです。陣屋の周りには関東十八代官の屋敷が並び、八王子の都市計画はこの陣屋を中心になされていたという。 また信玄の娘松姫(信松尼)の保護を行ったりしています。

 治水や灌漑にも力をそそぎ,石見土手と呼ばれた堤の一部が千人町の宗格院境内に残っている。06~07年の江戸城拡張に際し八王子石灰を漆喰用に供出した。

 慶長十八年に病死すると生前の不正発覚を口実に急據家康によって葬儀中止,その屍を暴き、長安事件として全国に影響を及ぼした。寄親の小田原城主大久保家をはじめ、親類縁者の大名たちが数多く改易・断絶になった。遺子七人は切腹させられた。間近にひかえた大阪の陣に対する内部引き締めに利用された感じがある。 

 



 



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