高尾の豆知識 


  


 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。

 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

 真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平十六年(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。



2-4.石川日記


 高尾駅から甲州街道に沿って少し、西八王子方面へ向かうと、まもなく左手に両側に黒塀と脇に水路のある古道にでます。実はこれが、旧甲州街道です。最近は建替えが進みましたが、未だに江戸時代の面影が残る部分も多く、ほんのわずかの距離ですが、ほっとする路地でもあります。

ところで、この黒塀の屋敷に住む方たちは、大半が、千人同心の子孫ということです。
 さて、この通りの北側には、農事日記「石川日記」で知られる石川家があります。
石川家は代々甲州武田家の遺臣で、後に徳川家に仕えました。そして石川源右衛門は、原(現在の東浅川町)に定住したのでした。
 その後、千人同心として半士半農の生活を送った石川善兵衛が1720(享保5)年4月から書き続け、それより今日まで200年以上続いて書かれているのが石川日記です。
石川日記は、諸色覚日記ともいわれ毎日の天気、畑、山の仕事、穀物の作付け、収穫高、生活記録、日光勤番など、浅川地区の昔やそのころの様子を知る上でも貴重な資料になっています。この日記から江戸時代の天気や農業、信仰などを知る事ができるのです。八王子市の市指定有形文化財(古文書)となっています。
 また、石川家では、戦前、副業で高尾山みやげの天狗面づくりもおこなわれていたようです。


 

 


 



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