高尾の豆知識 


  


 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。

 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

 真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平十六年(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。



2-25.北条氏康と15人の子


 八王子城主北条氏照の父君とその兄弟達について触れてみましょう。   

 北条の三代氏康は、領内に検地を行い、また税制を改革するなど民政面に手腕を発揮して戦国大名としての基礎を固めるとともに、軍事面でも天文十五年の河越夜戦で宿敵扇谷上杉朝定を敗死させ、山内上杉憲政を越後に追い、関東から両上杉の勢力を一掃している。北条氏が武蔵を確保し、さらに関八州の戦国大名へと飛躍していくことができたのは、この氏康の功績と言えよう。       

 さて氏康夫人は瑞渓院といって駿河の戦国大名今川氏親の娘で、氏康との間に十二人の子供を生んでいる。氏康には十五人の子があるが、そのうちの十二人を生んでいるのです。氏康はこの十五人の子をきわめて有効に配置しました。
 それは、嫡男氏政に家督を継がせ、氏照は大石氏の跡を継がせて滝山・八王子城主となし、氏邦に藤田氏を継がせ北武蔵の押えとして鉢形城に置き、氏規を韮山城主とし、氏忠を佐野氏の後嗣とし、氏堯を小机城に置いたのです。また、氏秀あらため景虎は越後上杉氏のもとに養子としていった。さらに、戦略上の政略結婚が顕著にみられ、娘早川殿は今川義元の嫡男氏真のところに嫁入っている。また、氏政は武田信玄の娘と結婚しているのである。     

 氏政の子氏直は、天正十年、二十一歳になったころから実際の政治を始めているが、その時点では父氏政も四十五歳と若く、氏政の発言権もかなり強かったようです。天正十八年、秀吉によって小田原城を攻められ開城、降伏するわけですが、秀吉は氏政および氏照に切腹を命じ、氏直は助命され高野山へ入山します。
 氏直が家康の娘と結婚していたのも一因といわれますが、秀吉は実質上の後北条当主を氏政とみていたのではないかと思われています。氏直は翌天正十九年に没します。その後、北条氏の家督は韮山城主であった北条氏規の系統によって伝えられます。その子氏盛を経て氏朝の時、一万一千石となり狭山藩となり大名になります。




>豆知識目次に戻る


» ホームに戻る


高尾の豆知識

  • 高尾の豆知識