高尾の豆知識 


  


 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。

 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

 真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平十六年(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。



2-15.滝山合戦


 八王子市高月町の滝山城は永正18(1521)年に武蔵国守護代の大石定重が築いた山城です。天文15(1546)年に小田原北条氏の軍門に下り、大石定久の養子として北条氏康の次男、北条氏照が滝山城を引き継ぎ居城としました。
滝山合戦は、永禄12年(1569)10月1日、北条氏照と甲州の武田勝頼で行われた攻防戦。

 武田信玄は、この秋、北条氏を威嚇し続けていた。永禄11(1568)年、武田信玄の駿河討ち入りによって甲相駿三国同盟が破棄され、北条氏と武田氏が緊張状態に入っていたのだった。

 武田信玄は、何とか北条氏をもう一度同盟者に戻そうと、関東侵攻に踏み切った。信玄を総帥として拝島大師に陣を構え、滝山城攻めには勝頼があたることになった。10月2日、滝山城内の小宮郭、三の丸一帯は陥落し、北条氏照は、二の丸二階門に駆け上りこれに応戦した。

 信玄は、小田原城攻めを目前にして兵力の損傷を少しでも軽く抑えたいという気持ちから、あと一歩で陥落というところで、2日夜には包囲を解除し、全軍を反転させ杉山峠を越え、小田原城に向かったのだった。





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