高尾の豆知識 


  


 高尾山縁起によれば、ここを開いたのは遠く聖武天皇の時代にさかのぼるらしい。

 この時代は、日本古代史の中で最も華やかな奈良時代であり、奈良の都には東大寺の大佛殿などが造営され、日本全国六十余州の各々の国には、国分寺が建立された。

 真言宗智山派大本山である高尾山薬王院は、奈良時代の天平十六年(744)に聖武天皇の勅命を受け、東大寺大仏の建立の悲願のため諸国に国分寺造営を命じた天皇の願いを達成すべく薬師の像を刻んだ行基菩薩が東国鎮護の祈願寺として、道を開いたと言われている。



2-10.設楽杢左衛門


 武田氏、北条氏に属した設楽氏は、徳川氏に敵対したこととなり零落し、八王子など、北武蔵の各地に散ったとされています。八王子地方に土着した設楽氏の子孫の一人が、設楽杢左衛門(もくざえもん)でした。

 万治年間(1658~1661)には現在の南浅川は両界橋で甲州街道を横切つて北流していますが当時は神明神社の真下で東流し、浅川駅(現、高尾駅)前を流れていたといわれます。村境を南浅川が急角度に曲つているため増水するとたちまち氾濫、現在の浅川町(高尾町浅川地区)一帯を水びたしにしては農民達を苦しめていました。これを憂うたのが郷士格(武士待遇の身分)をしていた設楽杢左衛門でした。自分の余生と全財産を放り出し公儀に願い出て治水工事にとり掛かりました。設楽杢左衛門は急曲する川筋を北に変える治水工事を行うべく、約七ヵ年間の年月を費やして、これを完成させたとされています。
七年を費やしたといわれていますが当時のことですから満足な工事の道具があるわけでなし、村々はノミで開削したと思われます。確かに今でもところどころにノミ跡が岩盤に残つています。

 苦心の末工事が完了するや杢左衛門は護岸のため根がひろく強く張る「さいかち」の樹を両岸に数百本植えました。さいかちは、ジャケツイバラ科(またはマメ科)サイカチ属の落葉高木で、別名カワラフジノキ。日本の固有種で本州、四国、九州の山野や川原に自生しています。5月頃に黄緑っぽい薄い色の小さな花をつけて秋になるとサヤエンドウを30〜40cmくらいに大きくしたような実がなります。アカシアの木のような葉の広葉樹です。陵南公園のそば、南浅川橋の北側にサイカチの木が1本ある。「自然と史跡の探訪ガイド 高尾駅界隈」(高尾駅南北自由通路促進委員会 2001)によると、樹齢400年を超える古木と言われているとのことである。これが、おそらく杢左衛門が植えたさいかちの木ではないかと考えられる。
 なお、杢左衛門はこの治水の功績で江戸幕府から9斗の除地を享け賜ったといいます。





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