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高尾近辺の城跡


城跡

初沢城跡

甲州街道のすぐ東側、JR(京王)高尾駅南口から少し歩いたところに初沢山(294.1メートル)があり、ここが戦国時代、武蔵国・西部地域における重要な戦略拠点と見られていた山城「初沢城」跡です。築城年代は明らかではないが、麓にある解説板によれば、築城の手法からみて室町時代の15世紀末に造られたものではないかといわれている。山頂に主郭、東北に向かう支脈の先端部(現・高尾天神社上)にも郭跡や堀切・削平地があり、山の東北方面(高尾・八王子方面)の守備を固めるための砦だったようです。

初沢城は、椚田城とも呼ばれ、鎌倉初期、横山党の椚田太郎重兼が居住したともされるが定かではない。高乗寺開祖、のちに扇谷上杉氏の傘下に組み込まれた片倉城主の長井氏の築城とも言われる。永正元(1507)年、山内上杉氏と扇谷上杉氏が立川周辺で戦った際に落城した椚田塁がこの初沢城とも言われている。椚田氏は八王子市内元横山町付近を本拠としたらしいが、今の椚田町付近、湯殿川の上流域の谷を開拓したようだ。

南北朝期は、大江広元の流れを組む長井氏が拠ったともいわれる。広元の次男時広を祖とする長井氏は、大江一門として鎌倉幕府の要職にあった。建武の新政府の中にあって旧幕臣でありながら長井氏が登用されているのはその実務能力を買われてのことであろう。この長井氏は南朝対立とその後の関東動乱を常に主流派の側に置きうまく世渡りしていたが、永世元年(1504)以降多摩地方から姿を消している。この長井氏が、初沢城を築いたというのが有力である。

山城とはいっても八王子城ほど急峻でもなく、ちょうど平地から丹沢山系の山々に繋がる場所であるため、物見としての機能も持っていたことでしょう。立地条件としては、小仏峠の入り口にあたり、背後に高尾山、丹沢山系を控え、小仏峠方面の監視、本城である滝山城、八王子城との連絡面でも適切な立地条件といえるため後北条氏時代になって支城網整備の中で、北条氏の手により今の形になったのではないかと思われます。

八王子城のように目立った遺構もないが、形式的には山麓に居館、背後の山を詰め城とする規模からも土豪の掌握に苦労しながら扇谷上杉方として戦った長井氏の築城は妥当なところかかもしれません。小田原の役においても、ここで攻防戦が行われたかどうかはわかりませんが、恐らく城主以下全員が八王子城に集結し、この城は、最初から放棄されていたのではないでしょうか。
この一帯は御衣(みころも)公園といい、地元のひとの憩いの場となっている。山頂付近は初沢城の主郭で一周する道が設けられている。また、山の中腹には、菅原道真の像があり「菅公(かんこう)さん」と地元の人から親しまれている。また麓には「みころも霊堂」という黄金色に輝く巨大なお墓の塔(マンション?)があり、高尾駅を降り立つ人からは不思議な目で見られている。

東麓の初沢川沿いにある高乗寺は、
長井氏によって寄進され、応永元(1394)年に開基、長禄元(1457)年に現在地に移ったとのこと。
天正18年に豊臣勢が八王子城を攻めたとき本陣を置いたとされている。
    

交通    JR・京王高尾駅南口から南へ、徒歩約10分
高さ    標高249m、比高25m


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