高尾の歴史 


  

八王子城の歴史



八王子城落城


 『武州八王子古図』によれば、豊臣軍は、前田隊・上杉隊の順に西から南浅川を渡り、横川経て元八王子へ到着したようです。
また、『北条記』によれば、八王子城攻めに際し、前田利家は使者を出して、「関白様の出向であり、周囲の城も明け渡れている。八王子城も早々に御渡し願いたい。さもなくば即、攻め落とす」と伝えたといいます。しかし八王子城側はこの使者を斬り捨てたといいます。

 攻撃は、1590年6月23日早朝、丑の下刻に開始されたようです。八王子城方も奮戦しましたが
、城の虎口ともいうべき山下曲輪が落ちた頃に夜が白んできたといわれている。実質的には半日ともたず落城したわけです。
 前田利家勢1万8千と上杉景勝 勢1万を主力とし、八王子城は3千人で、城主北条氏照の留守を預かる横地監物(よこちけんもつ)をはじめ中山勘解由(かげゆ)家範、 狩野一庵、近藤綱秀らが死守しました。八王子城守将の狩野一庵は戦死した。また、横地監物は戦死したとも敗走したとも伝えられています。城が1日にして落城したことは、横地氏にとっては、無念の極みであり、再起を期すべく横地氏は数名の従者とともに、燃え盛り、今まさに落城せんとする八王子城より脱出したとする話です。経路としては恩方醍醐から市道山に抜け、桧原城を目指したとされているが、追手に捕まり惨殺されたとされている。桧原には横地社があったが、今は八王子城跡に昭和32年に移転されたとされる。 

 中でも中山勘解由の活躍は寄せ手からも注目を浴び、前田利家は中山の助命を伝えたが、自害してしまいます。中山勘解由には嫡男照守と次男の信吉がいました。照守の「照」は主君氏照の「照」を賜ったもので、「照守」の意味は主君氏照を守る という意味であったと伝えられる。
 中山勘解由に感じ入った徳川家康は後に小田原に残っていた照守と弟信吉 とともに水戸徳川家に召し抱えます。慶長5年(1600)9月、関が原の合戦のと き、照守は徳川秀忠に仕えていたが、秀忠が信濃上田城を攻めたとき、照守は「上田の七本槍」の一人として活躍したという。照守は3千 500石を知行し、御旗奉行を勤め、八条流の馬術をよくしたという。父の名を継ぎ、勘解由を名乗った。

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 また、青梅の師岡氏などの侍も最後までよく戦ったそうです。しかし戦力の差はプロのアマチュアの差ほど大きくかったようです。八王子城合戦は、秀吉-北条合戦の中で唯一の殺戮戦でありました。
 また実際に戦った者たち以外にも八王子城にはその妻子たちが 多くおり、この人たちは、館の南にある御主殿の滝の上で次々と自刃しその滝に身を投げたといいます。これにより城山川はその川の水が真っ赤にそまりそれが三日三晩続いたと いわれています。                                
 このようにして小田原城で八王子城の悲報を聞いた北条氏照は床を叩いて号泣したといいます。その後秀吉の命令で、小田原城に籠城している妻子を船に乗せ、海から小田原城にこぎ寄せ狩野ら討ち死にした老将の首を城中に届けさせ籠城軍の戦意を喪失させたといわれています。

また前田・上杉両軍は小田原を目指して八王子を通過の際、相模に向かって行軍する中に、八王子城で捕らえられた婦女子が、ぼろぼろに破れた着物を身に纏ったみすぼらしい姿のまま歩かせ、これが小田原城の開城を早めたとする研究もあるようです。いずれにせよ八王子城の陥落は小田原城に籠城していた北条軍の志気を失わせ、7月に開城することになりました。北条氏照も兄氏政ともに切腹しました。              
                     
 秀吉の小田原攻めのなかで、八王子城の落城が特に語られるのは、このように八王子城の落城は唯一の殺戮戦であったからでしょう。八王子城は、まさに地獄攻めとも言われる猛攻を計画されます。木村常陸介が出した「落人取締触書」によると「八王子城よりの落人が逃げた先から帰ってきたら知らせるように、またよく捜して見つけ出せ」とあり、北条方は、一人たりとも逃がさじときびしいものだった。
天正13年の秀吉といえば、関白となりまさに得意の絶頂であり、徳川家康を臣下につかせ、島津や北条など辺境の地の小さな存在にしか見えなかった時期でしょう。

 秀吉の自信は、相手の実力を十分に調べあげたものであるのに対し北条の自信は家柄によるものだったともいえるでしょう。実力差に気づかないまま抵抗を続けた北条、特に最高権力者であった氏政の凡庸に犠牲となったのが、八王子城であったかもしれません。
秀吉は敵対する相手には皆殺しの態度をとってきましたが、すぐに降伏した者には寛大な処置をしており、北条も徳川家康の仲介を素直に聞き入れ秀吉に臣従していれば、このま ま関八州の盟主として君臨することもできたでしょうし、あのような悲劇も生まれなかったのかもしれません。                               
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